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東学農民軍の再蜂起と鎮圧

日本軍の王宮占領後、朝鮮では軍用電線の切断、兵站部への襲撃と日本兵の捕縛、殺害など民衆の「義兵」反日抵抗が続いたが、1894年10月9日全琫準を指導者とする東学農民軍が侵入した日本軍を秀吉軍の再来と受け止め再蜂起した。大院君は農民軍鎮圧のための派兵をしないよう大鳥公使に要請したが、日本は部隊(歩兵独立第十九大隊)を11月初めに派兵し、11月下旬からの公州攻防戦で勝利して農民軍を南方へ退け、ロシアの軍事介入を極度に警戒した日本は農民軍の北進を恐れ朝鮮最西南端の海南さらに珍島まで追いつめて徹底的に殲滅した。農民軍参加者はのべ13万人を超えると推定されている。

1895年1月20日に日本陸軍は栄城湾に上陸する。行軍中に歩兵第11旅団長大寺安純少将が戦死する。2月2日に威海衛を占領する。

2月5日午前3時20分に威海衛港内に侵入した日本水雷部隊は清国の「定遠」を大破、「来遠」「威遠」等3隻を撃沈した。2月9日に「靖遠」を撃沈、「定遠」は自沈する。2月12日に丁汝昌提督は将兵の助命を日本側に懇願して自決をする。伊東司令長官は、鹵獲艦船の中から商船康済号を外し、丁汝昌提督の亡骸を最大の礼遇を以て扱い、丁汝昌提督の最期の希望を聞き届け、清国兵を助命する。このことは、通常例を見ない厚遇であった。このエピソードは海軍軍人の手本として全世界に伝わり、現在でもフェアプレイ精神の例として日露戦争の上村彦之丞提督とともに、各国海軍の教本に掲載されていると云う。
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開戦直後からイギリスは講和斡旋へ動き、清も1895年1月に講和使節を日本に派遣した。しかし、この時日本は戦後の領有を前提に遼東半島の完全占領を目指していたため、この講和条件を受け入れなかった。1895年3月下旬からアメリカの仲介で、日本側が伊藤博文と陸奥宗光、清国側が李鴻章を全権に下関で講和会議が開かれた。

この時日本は台湾の略取を目的にその条件となる日本軍による占領を行うため、3月23日歩兵一個旅団を台湾島西方の澎湖諸島に上陸させた。台湾領有については松方、陸奥、伊藤ら日本政府要人も1894年以来、その領有の必要性や目的を意見書「威海衛を衝き台湾を略すべき方策」(伊藤)、「台湾島鎮撫策に関して」(陸奥)などでマレー半島や南洋群島に進出する根拠地、中国大陸に将来版図を展開する際の根拠地とする意見を表明していた。[17]

しかし、条約交渉において清の全権李鴻章は、日本軍は台湾本土に入っておらず、その割譲要求は筋が通らないと大いに反論した。3月24日に李鴻章が日本人暴漢に狙撃される事件が起こり、このため3月30日に停戦に合意した。4月17日 日清講和条約が調印され、5月8日に清の芝罘で批准書の交換を行った。

条約の主な内容は次の通り

清は朝鮮が独立国であることを認め、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。
清は遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲渡する。
清は賠償金2億両(テール:約3億円)を金で支払う。
清と欧州各国間の条約を基礎に日清通商航海条約を締結する。
新たに沙市、重慶、蘇州、杭州の4港を開港する。
日本人は清国内の開市、開港場での各種製造業に従事できること。
この5と6はイギリスが要求して、まだ実現していなかったものであり、イギリスの立場を代弁していた様子がある。これらは最恵国待遇により他の列強にも適用され、以後日本のみならずイギリスをはじめとする西欧列強の清への経済進出と領土分割がより加速されることになった。 これにより、中国と朝鮮との冊封関係は精算されたが、この後日本は紆余曲折を経て度重なる条約締結により朝鮮王朝(大韓帝国)の保護国化と1910年朝鮮併合へ至る道を進むこととなる。

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2009年06月01日 13:37に投稿されたエントリーのページです。

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