2009年06月19日

染色体(せんしょくたい)は遺伝情報を担う

染色体(せんしょくたい)は遺伝情報を担う生体物質である。塩基性の色素でよく染色されることから、1888年にヴァルデヤー (Heinrich Wilhelm Gottfried von Waldeyer-Hartz) によって Chromosome と名付けられた。Chromo- はギリシャ語 χρῶμα (chroma) 「色のついた」に、-some は同じく σῶμα (soma) 「体」に由来する。

染色体には歴史的な理由からいくつかの定義がある。

原義では、細胞周期の分裂期に見られる凝縮した構造体を指す。一般的に染色体の形態として認識されている X 状の構造(右図中右上参照)はこの時期のものである。
形態や細胞周期に関わらず、真核生物の細胞にあるDNAと塩基性タンパク質のヒストン、およびその他の多様なタンパク質からなる生体物質を指す場合。これはクロマチン・染色質の意味も含む。
さらに広義には真正細菌や古細菌、あるいはミトコンドリアなどの細胞小器官が持つゲノムも含む。このうち古細菌はヒストンにDNAが一部巻きついている。ウイルスのゲノムも染色体と呼ぶ場合がある。通常プラスミドは含まないが、tRNAやrRNAなどを含む場合もあり複ゲノムと呼ばれる。本項目において断りがない場合は (2) の意味での説明とする。
バンジージャンプ
地球温暖化
体外離脱
白血病
花見
VDT症候群
元素周期表
油彩画
民話
翻訳
賃貸借
水上スキー
漢方薬
スキー
心療内科
妖怪
血液学
近畿地方
ウエストナイル熱
中国地方

染色体の構造 [編集]
染色体の基本構成要素はDNAとヒストンである。一本の染色体には一本のDNAが含まれている。DNAは非常に長い分子であり、細胞核に収納するには折り畳む必要がある。DNAは核酸なので酸性であり、塩基性タンパク質のヒストンとの親和性が高く、全体的には電荷的に中和され安定化している。DNAとヒストンの重量比は、ほぼ1:1である。

最も基本的な構造はヌクレオソームである。8つのヒストンタンパク質からなるヌクレオソームヒストン(コアヒストン)は、約150塩基対のDNAを巻き取ることができる。ヌクレオソームの間にはヒストンH1(リンカーヒストン)が結合する。最も低次のヌクレオソームと、分裂期に見られる最も高次の染色体形態の間にあるクロマチン構造についてはあまり研究が進んでおらず、いくつかのモデルが提唱されているものの詳しいことは不明である。ただし、ヌクレオソーム構造はさらに凝集し、直径30nmの繊維となり、通常は顕微鏡下では見えないが、細胞分裂中期に現れる糸状の物体として確認できる。基本的にはこのような繊維が螺旋状に巻き、折り畳まれることによって高次化していく。この過程には、コンデンシン複合体やトポイソメラーゼIIが関与していることが知られているが、その詳細な分子メカニズムはよく分かっていない。

クロマチンには、大きく分類してユークロマチン (euchromatin) とヘテロクロマチン (heterochromatin) の二種類がある。ユークロマチンはクロマチン構造がゆるまっており、転写されている遺伝子はこの部分に多く存在する。ヘテロクロマチンは密に凝集しており、この領域ではあまり転写が起きていない。この部分は、染色体の構造上の変化に際して何らかの役割を負っていると考えられている。ヘテロクロマチンは更に次の二つに分類することができる。遺伝子の発現はほとんど見られない構成的ヘテロクロマチン (constitutive heterochromatin) と、条件によっては遺伝子の発現が見られる条件的ヘテロクロマチン (facultative heterochromatin) がある。前者は主にセントロメア付近にあり、この領域の DNA は繰り返し配列に富む。

2009年06月01日

東学農民軍の再蜂起と鎮圧

日本軍の王宮占領後、朝鮮では軍用電線の切断、兵站部への襲撃と日本兵の捕縛、殺害など民衆の「義兵」反日抵抗が続いたが、1894年10月9日全琫準を指導者とする東学農民軍が侵入した日本軍を秀吉軍の再来と受け止め再蜂起した。大院君は農民軍鎮圧のための派兵をしないよう大鳥公使に要請したが、日本は部隊(歩兵独立第十九大隊)を11月初めに派兵し、11月下旬からの公州攻防戦で勝利して農民軍を南方へ退け、ロシアの軍事介入を極度に警戒した日本は農民軍の北進を恐れ朝鮮最西南端の海南さらに珍島まで追いつめて徹底的に殲滅した。農民軍参加者はのべ13万人を超えると推定されている。

1895年1月20日に日本陸軍は栄城湾に上陸する。行軍中に歩兵第11旅団長大寺安純少将が戦死する。2月2日に威海衛を占領する。

2月5日午前3時20分に威海衛港内に侵入した日本水雷部隊は清国の「定遠」を大破、「来遠」「威遠」等3隻を撃沈した。2月9日に「靖遠」を撃沈、「定遠」は自沈する。2月12日に丁汝昌提督は将兵の助命を日本側に懇願して自決をする。伊東司令長官は、鹵獲艦船の中から商船康済号を外し、丁汝昌提督の亡骸を最大の礼遇を以て扱い、丁汝昌提督の最期の希望を聞き届け、清国兵を助命する。このことは、通常例を見ない厚遇であった。このエピソードは海軍軍人の手本として全世界に伝わり、現在でもフェアプレイ精神の例として日露戦争の上村彦之丞提督とともに、各国海軍の教本に掲載されていると云う。
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開戦直後からイギリスは講和斡旋へ動き、清も1895年1月に講和使節を日本に派遣した。しかし、この時日本は戦後の領有を前提に遼東半島の完全占領を目指していたため、この講和条件を受け入れなかった。1895年3月下旬からアメリカの仲介で、日本側が伊藤博文と陸奥宗光、清国側が李鴻章を全権に下関で講和会議が開かれた。

この時日本は台湾の略取を目的にその条件となる日本軍による占領を行うため、3月23日歩兵一個旅団を台湾島西方の澎湖諸島に上陸させた。台湾領有については松方、陸奥、伊藤ら日本政府要人も1894年以来、その領有の必要性や目的を意見書「威海衛を衝き台湾を略すべき方策」(伊藤)、「台湾島鎮撫策に関して」(陸奥)などでマレー半島や南洋群島に進出する根拠地、中国大陸に将来版図を展開する際の根拠地とする意見を表明していた。[17]

しかし、条約交渉において清の全権李鴻章は、日本軍は台湾本土に入っておらず、その割譲要求は筋が通らないと大いに反論した。3月24日に李鴻章が日本人暴漢に狙撃される事件が起こり、このため3月30日に停戦に合意した。4月17日 日清講和条約が調印され、5月8日に清の芝罘で批准書の交換を行った。

条約の主な内容は次の通り

清は朝鮮が独立国であることを認め、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。
清は遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲渡する。
清は賠償金2億両(テール:約3億円)を金で支払う。
清と欧州各国間の条約を基礎に日清通商航海条約を締結する。
新たに沙市、重慶、蘇州、杭州の4港を開港する。
日本人は清国内の開市、開港場での各種製造業に従事できること。
この5と6はイギリスが要求して、まだ実現していなかったものであり、イギリスの立場を代弁していた様子がある。これらは最恵国待遇により他の列強にも適用され、以後日本のみならずイギリスをはじめとする西欧列強の清への経済進出と領土分割がより加速されることになった。 これにより、中国と朝鮮との冊封関係は精算されたが、この後日本は紆余曲折を経て度重なる条約締結により朝鮮王朝(大韓帝国)の保護国化と1910年朝鮮併合へ至る道を進むこととなる。

2009年04月29日

日本神話

日本神話(にほんしんわ)とは、日本に伝わる神話のことである。

現在日本神話と呼ばれる伝承は、そのほとんどが『古事記』『日本書紀』及び地方各国の「風土記」に見られる記述を元にしている。即ち高天原の神々を中心とする神話がその大半を占め、一方ではその出典となる文献は決して多くはない。

本来日本各地にはそれぞれの形で何らかの信仰や伝承があったと思われその代表として出雲が登場するが、ヤマト王権の支配が広がるにつれてそのいずれもが国津神(くにつかみ)または「奉ろわぬ神」という形に変えられて「高天原神話」の中に統合されるに至ったと考えられている。また、後世までヤマト王権などの日本の中央権力の支配を受けなかったアイヌや琉球には、それぞれ独自色の強い神話が存在する。
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中世に入ると、『太平記』などの軍記物、歌学書やその注釈、寺社縁起などにおいて『日本書紀』に基づきながらその内容に大きな差異が認められる、いわゆる中世神話(中世日本紀)が発達した。中世神話のなかでは本地垂迹説に基づいて記紀の神々が仏教の尊格と同一視されたり、あるいは対等に渡り合っている。記紀には見られない神格やアイテムが登場したり、地方神話、民間伝承や芸能から取り込まれた要素が神話の中に混ざりこんでいることもある。記紀神話とは異なり最後まで正統的な文献が存在しなかったため、豊富なバリエーションが多く残されている。中世神話は、現在では主に国文学方面で研究が行なわれており、神話学などではあまり扱われていない。

近世になると、伊勢国出身の本居宣長が、古事記に対して本格的解明を目指し名著『古事記伝』を書き上げ、『日本書紀』優位の神話が一変して、『古事記』優位の神話が主体となり、現在にいたっている。

また、少数派ではあるものの、キリシタンや幕末の新興宗教の教説にも日本独自の神話がみられる。

以上を踏まえた上で、この記事においては『古事記』『日本書紀』などにより語られる「高天原神話」(記紀神話)に絞り、日本神話として解説を加えていくことにする。

なお、「高天原神話」に登場する主な神々はヤマト王権ひいては現在の天皇家の祖先に当たると記述されている。これは、ヤマト王権の拡大に伴い、各地方土着の神に対する崇敬を天皇に対するものに転化させ、初穂献上としての租税の徴収を容易にするためと推察されているが、そのため、時代により当時の権力者に都合の良い解釈が為されたり改変が加えられたりした経緯がある。例えば、記紀の編纂自体に同時代の天武・持統朝の影響や朝廷・藤原氏などの恣意が加わった可能性が指摘されている。東京裁判後、明治以降太平洋戦争以前の日本においては、国民に対し国家の正統性を喧伝するプロパガンダとして国家権力によっても利用されたとされている(皇国史観)。

現在は、風土、風俗などの民俗学、考古学に基づく研究などが主にされている。また日本神話の原形となったと思われる逸話や、日本神話と類似点を持つ神話はギリシャ神話など世界中に多数存在する。日本における古墳期~奈良期に掛けての国の勢力関係をも知る上での参考資料ともなっている。

その上でここでは、あくまでも神話として、或いは民俗学・考古学上の観点から、「高天原神話」について述べることにしたい。

2009年04月14日

庚申塔(こうしんとう)

庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。

庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀って宴会などをする風習である。

庚申塔の石形や彫られる神像、文字などはさまざまであるが、申は干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。 同様の理由で庚申の祭神が神道では猿田彦神とされ、猿田彦神が彫られることもある。また、猿田彦神は道祖神とも信仰されるため、庚申信仰が道祖神信仰とも結びつくこととなった。さらに仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもある。

庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い。これは道祖神など他の路傍の石仏にはあまりみられない機能であり、庚申塔の特色とされている。

庚申塔は全国的な分布が確認されているが、地域によって建立数に差が見られる。特に旧相模国を中心とした地域では数多くの庚申塔が建立された。なお相模国には日本ではじめて三猿が彫られた庚申塔(茅ヶ崎市輪光寺、市重要文化財)や青面金剛が彫られた日本最古の庚申塔などが残っている。

歴史 [編集]
庚申塔の建立が広く行われるようになるのは、江戸時代初期(寛永期以降)頃からである。以降、近世を通して多数の庚申塔が建てられた。当初は三猿像や青面金剛像を彫り付けたものが大多数であったが、しだいに「庚申塔」あるいは「庚申尊天」と文字のみ彫り付ける形式が増加する。

明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を勧めた。さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。

現在、残存する庚申塔の多くは寺社の境内や私有地に移転されたものや、もともと交通量の少ない街道脇に置かれていたため開発による破壊を免れたものである。田舎町へ行くと、今でも道の交差している箇所や村落の入り口などに、「庚申尊天」とかかれた石柱を全国で見ることができる。

キシラン ノート ローズ マッハ リボ デリバラ 田舎国 ゴマナ ゲート フォトモ ザンス カッコー コッチ チリン シャー タジーン メーカ ディング モード アップ クロゼ レイオ モラトリ ダイキリ サイリウム レセプト クオリア ロトロン シーラーズ プルマン タリフレ ハッチ カップ ブローシャー オレキシン タバーン ノード ビッシング ヒットラー タッチ きくま 深呼吸 ゾディア はつう パラコート マスコ 和銅 しちの トラック ビヨウ

2009年03月30日

スジ肉(すじにく)

スジ肉(すじにく)とは、食肉のアキレス腱の部分、または腱が付いた肉のことである。また横隔膜の一部も肉質が近似していることから、スジ肉として扱われている。流通しているスジ肉の大多数は肉牛のもので、牛のアキレス腱は特に「牛スジ」とよばれている。
マルバタ クロスレ シュール しばざくら アスク たいざん ロスカ チーズ 白爵南瓜 モルガ ユーボ 冬の星座 ライオン いろはに ピーク ハスカ リッペ リーズ ダイヤ 雪の駅 マネタ ファース グラス おくやま スピンオフ スカッド レンジャー レジスタ バルキー 寄居かぶ メキシコ へきぎょく ダージジ パサク はま スティン つるむら 京野菜 コリンズ プール ギミッ デカル マンネリ ハイガイド トークッシ ロンティー サイトバラ メガ最適 ミズム どうちゃく

1.アキレス腱(腱)
脚の腱そのもので、大きい円柱状。ほとんどがスジの部分で脂身は少ない。スジ肉で最も美味とされるが入手が難しい地域もある。九州ではどこのスーパーでも普通に売られている。
2.スジ(筋)
肉を各部位に切り分ける時、下処理で肉に付いている余分な筋を取り除いて集めたもの。細切れになっているものが多く、普通の肉の部分も多く付いているが、処理されていない脂身も多く付いている。
3.メンブレン(膜)
ハラミの外側についている膜状の部分を剥がしたもの。白い板状になっており、処理時に脂身を付けたままにしたものもある。コンビニエンスストアなどで販売されているおでんに使われることが多い。なお食品の原材料名に「ハラミ」と記入されることもある。
牛スジがホルモンと混同される扱いを受けることもあるが、これは2. に内臓肉の部位も混入していることや、3.が内臓肉そのものとして扱われていることによるもので、厳密にはスジ肉はホルモンと異なる部位である。(例えば「どて焼き」はスジ肉が使われる料理であり、ホルモンが使われることはない)

スジ肉は地方によっては店頭に出回ることが少ないため、生肉の状態で入手するためには、あらかじめ精肉店に予約や注文を入れておく方法があるが、2.や3.はボイルなどの下処理を行いパック詰めにされたものが、大規模スーパーなどで販売されていることもある。 九州では、生の状態で普通にスーパーの精肉売り場に並んでいる。

なお一時期は廃棄部分として扱われることもあったが、最近は一般的に認知されてきたことから需要が増えており、売価については他の部位と変わらないことが多い。

調理方法
スジ肉は、長時間煮込まないと柔らかくならず、調理中は換気が必要なほど臭みがある。東日本の一般家庭で調理されることは少ないが、西日本ではお好み焼きや焼きそばを始め、おでんの種として広く用いられている。これは長時間煮込むことによって柔らかくなり、臭みが消え、ダシが出るためで、西日本では一般的に用いられるおでん種であり、またカレーの具にも用いられており、また、牛スジ肉とこんにゃくを煮込み醤油で主に味付けしたものは、ころ・すじこん・ぼっかけ等と呼ばれており、そのままないしはお好み焼き・ねぎ焼き・焼きそば・うどんなどの具材に広く用いられている。このように手間を惜しまなければ美味しい食材として食べることができる。

家庭で煮込む場合は、圧力鍋を用いると大幅に時間が短縮できて便利である。用いる部位によっては、かなり脂の強い食材であるため、煮汁の上に浮いてくる脂肪分を丁寧に取り除くことが必要となるが、一晩冷やせば脂肪が固まるので簡単に取ることができる。大量に煮て小分けにしたものを冷凍しておけば便利である。

なお、スジ肉およびその煮汁は多量のゼラチン質が含まれており、味をつけて煮た野菜などと一緒に冷やすと固まり、ゼリー寄せ、あるいは煮凝りができる。ゼラチン質はコラーゲンの塊のようなものであることから、美容を意識して食べる事も勧められるが、その場合は前述した脂について留意したほうが良い。

その他 [編集]
牛スジは、関西や九州の居酒屋やおでん屋で供されていることが多かったが、コンビニエンスストアがおでんの種として用いたことにより、全国規模で普及するようになった。
写真家で料理研究家でもある西川治は、牛スジ肉だけで料理本を一冊書いている

2009年03月14日

ピコ島

ピコ島(ぴことう、ポルトガル語 Ilha do Pico)はポルトガルの最高峰火山ピコで知られるアゾレス諸島の島。ポルトガル領。中部群島に属し、アゾレス諸島第2の面積をもつ。島の首府はマダレナ。面積は446km²。島内の人口は約1万5千人。

ピコ島はサンジョルジェ島から南に17.5km、ファイアル島から西に7kmに位置する。島は全体に細長く、長さ42km、幅はもっとも広いところでは15kmになる。火山島であり、地形は急峻である。

火山ピコ山は島の南西部に位置し、標高は2351m。成層火山である。最後に観察された噴火は1963年のものである。著名な噴火には、1562年から64年にかけての噴火、1718年および1720年の噴火がある。これらの噴火による溶岩流の跡は、10km以上に達し、現在でも見ることができる。
フェルト オレキ マッチ キャム プロポ オオセンナ パドルボ ダカー 国道18号線 ストー ヤン サンゴ ウェー ジグラート ないえ ショルダ イチゴ マリネ シュラフ デュポン ジェイペグ 古時計 スペクト ビージ レベル ゲッケイ カーン マエスト ツルウ オギジ レアメ スキーマ ネオジム ラズライ トリトマ ビレイ きあか スフィン レザー ジャムウ ファイ ファクト オキナグ ハイクラ ケフェウ ペクシ スノー チェンジ スケイ ダカール

1980年まで捕鯨基地として使われていた。アゾレス諸島は大西洋の大陸棚の縁に位置し、水深の深いところに近かったため、漁業基地に好適であったためである。現在の主な産業は、観光業、造船、ワイン製造である。2004年、「ピコ島のブドウ畑文化の景観」はユネスコの世界遺産に登録された。ピコ島で産するワインは、ピコ・ワイン (Vinho do Pico) としてポルトガル政府の原産地統制 (VLQPRD) の対象であり、優れた品質で知られる。

主な集落は、マダレナ、サンロッケ・ド・ピコ、ラジェスである。

2009年02月26日

幻星神ジャスティライザー

かつて地球を襲った侵略宇宙人カイザーハデスは、地球を守るライザー星人ノルンとの戦いに敗れ、封印されていた。しかしそれから450年の月日がたち封印が弱まり、再び地球は侵略の脅威にさらされていた。

ハデス軍の宇宙怪獣が地球を襲ったその時、天堂澪が先祖から受け継いでいた怪獣型土偶が割れ、中から現れた水晶「ジャスティ・クリスタル」から光が発せられる。その光は伊達翔太、真田ユカ、平賀真也の3名に宿り、ノルンの幻影が地球を守る戦士ジャスティライザーとしての使命を告げるのであった。

本作のストーリーは平均17話ごとに区切られる3部構成となっている。

第1部(第1話 - 第16話)
カイザーハデスを復活させようとするドクターゾラとのステラプレート争奪戦。
第2部(第17話 - 第33話)
復活したカイザーハデスとその部下デストコマンド達との激しい戦いが繰り広げられる。
第3部(第34話 - 第51話)
新たなる敵、ダルガ帝国軍に3人のジャスティライザーとライザー星の騎士リゲル(デモンナイト)が立ち向かう。
『超星神シリーズ』第2作として製作された本作は、主役ヒーローやそれを取り巻く周囲の登場人物の数が大所帯だった前作との差別化を図り、主役ヒーローの数を3名に絞り、彼らを取り巻く人物も少人数に設定して番組をスタートさせた。レギュラーの数を絞った分、主役ヒーロー個々の戦闘スタイルを剣術、格闘、射撃に分けたことで変身後の個性をより反映させる演出が試みられた。また、主役が高校生2人と大学生1人という組み合わせであり、ほぼ敵側との攻防戦に物語の重点を置いていた前作とは対照的に、主役側の日常生活や友人・家族関係が物語に描かれている点も本作の特徴となっている。

伊達翔太(だて しょうた) = ライザーグレン……伊阪達也
聖台高校2年。剣道が得意だが部活動はしていない。猪突猛進な性格で、よくユカや真也に突っ込まれる。趣味はホンダ・PS250を乗り回す事。ユカを守りたいという意思が強い。名前の由来は伊達政宗と思われる。
真田ユカ(さなだ ゆか) = ライザーカゲリ……神崎詩織
聖台高校2年。ラクロス部キャプテン。普通の女子高生に戻りたいと思いつつも、ジャスティライザーとしての使命に力を注ぐ。名前の由来は真田幸村と思われる。
平賀真也(ひらが しんや) = ライザーガント……井坂俊哉
京南大学2年。ロボット工学を学ぶ。幼い頃に科学者の両親が自分を置いて渡米したため、人付き合いが苦手だった。愛車はホンダCR-V。澪に気がある。名前の由来は平賀源内と思われる。

ジャスティライザーの仲間
神野司郎(じんの しろう) = デモンナイト……波岡一喜
18話から登場。元になった人間については劇中では語られていない。デストコマンドの一人、暗黒騎士デモンナイトとして現れ、ジャスティライザーに戦いを挑むが、卑怯な戦法を嫌い他のデストコマンドの攻撃を妨害することもあった。
ハデスによって記憶を消されていたが、ノルンの弟でライザー星の騎士リゲルである事が判明し、ジャスティライザーと和解、共闘する。
最終話で翔太たちに別れを告げ、ライザー星復興のため、リュウトで地球を後にした。
天堂澪(てんどう みお)……江口ヒロミ
戦国時代の姫の末裔。先祖からジャスティクリスタルを引き継ぐ。幼い頃両親を亡くして本宮家に預けられ、麗香を姉のように慕う。料理のセンスは無茶苦茶。星神島から上京した際、ホンダ・ストリームを一括払いで購入するお金持ち(但し彼女は免許がなく、麗香が運転する)。真也と相思相愛になっていく。
本宮麗香(もとみや れいか)……小澤栄里
先祖代々天堂家に仕える女性。澪のボディガードであり、ザコールとなら互角に戦える。何故かスターリングを使えた。当初は敵だった神野を毛嫌いしていたが、段々信用できるようになった。
伊達源太郎(だて げんたろう)……中村有志
電器店を経営する翔太の父。ジャスティライザーの事を知り、彼らの精神的支えとなる。
松平健一(まつだいら けんいち)……正名僕蔵
伊達電器店の店員。ジャスティライザーの事は知らない。本作品のコメディリリーフというべき存在である。41話で里見真央(菅真紀)という彼女ができる。名前の由来は江戸時代の松平家からだと思われる。
市川徹(いちかわ とおる)……内田明
翔太の親友で野球部員。姉が入院中で、その息子である星野和也(片岡涼)を翔太達に押し付け、デートに行ってしまう軽い性格。
瀬川麻美(せがわ あさみ)……久保麻衣子、松原理緒(まつばら りお)……鳥井綾乃
ユカと同じラクロス部員。真也を「シン様」と慕う。
九条公康(くじょう きみやす)……冨田昌則
44話から登場した、国防省対異星人特殊作戦課司令官。同期の白河に先に出世され、不真面目な態度を取る。初めは「ジャスティライザーは侵略者だから捕らえろ」と言う白河の命令を渋々聞いていたが、彼の異常な行動に気付き、没収したインローダーを翔太達に返す。名前の由来は九条頼経か。
白河信介(しらかわ しんすけ)……かなやす慶行
国防省対異星人特殊作戦課特務局長で、九条の上司。アドロクスに憑依され、ジャスティライザー攻撃命令を出してしまう。その後は彼等の援護にまわる。名前の由来は白河天皇と思われる。

ハデス軍
カイザーハデス→巨大カイザーハデス……声:谷口節
地球征服を狙う異星人。450年前にステラプレートで地球に封印されていたが16話で解ける。33話で巨大カイザーハデスになるが、ジャスティカイザーに倒される。兄である魔神ダルガを倒し、頂点に立とうとしていた。
ドクター・ゾラ……声:五十嵐麗
カイザーハデス復活を企む女科学者。サイバーナイトやサイバービーストでジャスティライザーと戦うが、16話でニンライザーに倒される。42、43話で復活するが、グレンとカゲリによって倒された。
ゼネラル・バッカス……声:斧アツシ
17話から登場したゾラの後任の地上攻撃師団長。カイザーハデス親衛隊デストコマンドのリーダー。30話でライザーシロガネに倒される。ゾラと共に復活したが、ガントとデモンナイトによって倒された。
戦闘兵士ザコール
ハデス軍、ダルガ帝国軍の一般戦闘員。黒い体には模様が入って居り、ドクター・ゾラのザコールの模様の色は金色、ゼネラル・バッカスのザコールの模様の色は銀色、ダルガ帝国軍のザコールの模様の色は赤色。

ダルガ帝国軍
魔神ダルガ→暗黒魔神クロガネ→巨大クロガネ……声:松本大
34話から登場したハデスの兄にしてダルガ帝国軍の支配者。ハデス軍滅亡を受けて地球に攻め込む。
47話でライザーパワーを得て、暗黒魔神クロガネに変身する。クロガネはジャスティパワーの化身シロガネと対を成すライザーパワーの化身。本来はデモンナイトが秘めていた力だが、ダルガが発動寸前にライザーパワーを奪う。生身でライゼロスや星神獣を破壊するほどの力を持つ。最終話で巨大クロガネになるが、巨大シロガネに敗れ去った。
コマンダー・アドロクス……声:遠近孝一
ダルガ帝国軍レジェンダーズの司令官。オカマ口調が特徴。度重なる失態の末、ダルガに見切られ、第45話で死亡。
レジェンダー・ドレイク……声:泉龍太
魔神ダルガの側近。その力はコマンダー・アドロクスを凌ぐ。ライザー星での戦いで、マイア姫を暗殺した。

主なゲストキャラクター
ノルン……川合千春
450年前に澪の先祖達と共にハデスを封印したライザー星の科学者でリゲルの姉。
武田広之(たけだ ひろゆき)……小谷嘉一
先祖代々ステラプレートを守ってきた青年。敵の気配を感じる事ができる。
ミラ……中野知世
34、35話で登場のライザー星レジスタンス。伝説の騎士を求めて地球に来るが、アドロクスに殺害される。
マイア姫……伊藤紅音
リゲルと相思相愛のライザー星の姫だったが、ドレイクに暗殺される。48話の神野の回想シーンのみの登場。
しょうや ムンバ イルラ 永遠の約束 ブースター サルフ 享禄 きんちゃく パンダル マネタリ アップ アート フラゲ ニュース 星かげ 月の宮 スタジ 野の花 リミット トラック 日本海 ケーソ ブラワサ じょうるり レビュー 未来世紀 ビッドレ オーバ ストーンカメ 女峰 ブッファ シャリン セイシェル ファイ シング スチーム ティグ バトル ストップ レーダー オーパーツ ブイエ デデリ ギブアップ ピラー 時計台 タネソウ サーチカヤ タイミ レジュ

元・グランセイザー
伝通院洸……芹沢秀明
30話に登場。詳しくは超星神グランセイザーの「伝通院先生」の項を参照。
獅堂未加……清水あすか
35話に登場。ハデスを倒すも新たな敵の出現で普通の生活に戻れず泣き出すユカを、翔太が泣かしたと勘違いし、彼を蹴飛ばしてしまう。
松坂直人……高原知秀
42、43話に登場。翔太は「伝説の格闘家」である彼のファンだが、他の一行は彼を知らない。ユカの命と引き換えにインローダーを失い落ち込む翔太を道場に連れ込み、スパーリングをする。その後グレンに再び装着し戦う翔太の姿を、かつての盟友である弓道天馬(セイザータリアス)と重ね合わせる。その強さは健在で、数体のザコールに襲撃されるも、簡単に倒してしまった。
(その際、一瞬だけセイザータウロンの姿になっていたが、詳細は不明)

2009年02月09日

推古朝の俀國(倭国)が隋に派遣した朝貢使

遣隋使(けんずいし)とは、推古朝の俀國(倭国)が隋に派遣した朝貢使のことをいう。600年(推古8年)~618年(推古26年)の18年間に5回以上派遣されている。
秋日和 プレス タンポポ ダブル マイケル ビーカー ナリラ フェア ストリ テロメ シャープ オール シャッポ ゆりはま ユーアー フレア トルク リリシ マルチ ソファ ウテルス みこも コデマリ ノータッチ ヘルパー ミョウガ シビア ゼッケン プラー フィンランド 仙人掌 ゲル対策 美の気配 スタッカー ヌートリア パンサー グロビン かいづか プロポョン スイング オステ ノール おのいし お座敷 パラッツ ゆとう シナモン フットケア サポーター バスターズ

なお日本という名称は遣唐使のときから使用された。

大阪の住吉大社近くの住吉津から出発し、住吉の細江(現・細江川。細井川駅)から大阪湾に出、難波津を経て瀬戸内海を九州へ向かい、そこから玄界灘に出る。

倭の五王による南朝への奉献以来約1世紀を経て再開された遣隋使の目的は、東アジアの中心国・先進国である隋の文化の摂取が主であるが、朝鮮半島での影響力維持の意図もあった。この外交方針は次の遣唐使の派遣にも引き継がれた。

この派遣第一回 開皇20年(600年)は、『日本書紀』に記載はない。『隋書』「東夷傳俀國傳」は高祖文帝の問いに遣使が答えた様子を載せている。

「開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌 遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之」

開皇二十年、俀王、姓は阿毎、字は多利思北孤、阿輩雞弥と号(な)づく。使いを遣わして闕(けつ)に詣(いた)る。上、所司(しょし)をしてその風俗を問わしむ。使者言う、俀王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天未(いま)だ明けざる時、出でて政(まつりごと)を聴く跏趺(かふ)して座す。日出ずれば、すなわち理務を停(とど)めて云う、我が弟に委(ゆだ)ぬと。高祖曰く、此れ大いに義理なし。是に於て訓(おし)えて之を改めしむ。

俀王(通説では俀は倭の誤りとする)姓の阿毎はアメ、多利思北孤(通説では北は比の誤り多利思比孤とする)はタラシヒコ、つまりアメタラシヒコで、天より垂下した彦(天に出自をもつ尊い男)の意とされる。阿輩雞弥はオホキミで、大王とされる。

開皇20年は、推古天皇8年にあたる。この時派遣された使者に対し、高祖は所司を通じて俀國の風俗を尋ねさせた。使者は俀王を「姓阿毎 字多利思北孤」号を「阿輩雞彌」と云うと述べている。ところが、高祖からみると、俀國の政治のあり方が納得できず、道理に反したものに思えたのであろう。そこで改めるよう訓令したというのである。

第二回(607年)
第二回目は、『日本書紀』に記載されており、607年(推古15年)に小野妹子が大唐国に国書を持って派遣されたと記されている。

倭王から隋皇帝煬帝(ようだい)に宛てた国書が、『隋書』「東夷傳俀國傳」に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)と書き出されていた。これを見た煬帝は立腹し、外交担当官である鴻臚卿(こうろけい)に「蕃夷の書に無礼あらば、また以て聞するなかれ」と命じたという。無礼な蕃夷の書は、今後自分に見せるな、というのである(「帝覽之不悅 謂鴻臚卿曰 蠻夷書有無禮者 勿復以聞」)。

なお、煬帝が立腹したのは俀王が「天子」を名乗ったことについてであり、「日出處」「日沒處」との記述にではない。「日出處」「日沒處」は『摩訶般若波羅蜜多経』の注釈書『大智度論』に日出処是東方 日没処是西方 とあるなど、単に東西の方角を表す仏教用語である。ただし、仏教用語を用いたことで中華的冊封体制からの離脱を表明する表現であったとも考えられている。

小野妹子は、その後返書を持たされて返されている。煬帝の家臣である裴世清を連れて帰国した妹子は、返書を百済に盗まれて無くしてしまったと言明している(「臣參還之時 唐帝以書授臣 然經過百濟國之日 百濟人探以掠取 是以不得上」『日本書紀』)。この事は、煬帝からの返書は倭国を臣下扱いする物だったのでこれを見せて怒りを買う事を恐れた妹子が返書を破棄してしまったのではないかと推測される。

斐世清が持ってきたとされる書が『日本書紀』にある。

「皇帝、倭王に問う。朕は、天命を受けて、天下を統治し、みずからの徳をひろめて、すべてのものに及ぼしたいと思っている。人びとを愛育したというこころに、遠い近いの区別はない。倭王は海のかなたにいて、よく人民を治め、国内は安楽で、風俗はおだやかだということを知った。こころばえを至誠に、遠く朝献してきたねんごろなこころを、朕はうれしく思う。」

(「皇帝問倭皇 使人長吏大禮 蘇因高等至具懷 朕欽承寶命 臨養區宇 思弘德化 覃被含靈 愛育之情 無隔遐邇 知皇介居海表 撫寧民庶 境內安樂 風俗融合 深氣至誠 遠脩朝貢 丹款之美 朕有嘉焉 稍暄 比如常也 故遣鴻臚寺掌客裴世清等 旨宣往意 并送物如別」『日本書紀』)

これも倭王となっており、天子とは認めずにあくまで倭王を臣下扱いする物である。『日本書紀』によるこれに対する返書の書き出しが東の天皇が敬いて西の皇帝に白す(「東天皇敬白西皇帝」『日本書紀』)とあり、隋が王とした所を天皇としている。これを持って天皇号の始まりとする説もある。

遣使の派遣状況
遣隋使の派遣を年表風に整理すると次のようになる。

600年(推古8年)第1回遣隋使派遣。この頃まだ俀國は、外交儀礼に疎く、国書も持たず遣使した。(『隋書』俀國伝)
607年(推古15年) - 608年(推古16年)第2回遣隋使、小野妹子(おののいもこ)らを遣わす。「日出処の天子……」の国書を持参した。小野妹子、裴世清らとともに住吉津に着き、帰国する。(『日本書紀』、『隋書』俀國伝)
608年(推古16年) - ? (『隋書』煬帝紀)
608年(推古16年) - 609年(推古17年)第3回遣隋使、小野妹子・吉士雄成など隋に遣わされる。この時、学生として倭漢直福因(やまとのあやのあたいふくいん)・奈羅訳語恵明(ならのおさえみょう)高向漢人玄理(たかむくのあやひとくろまろ)・新漢人大圀(いまきのあやひとだいこく)・学問僧として新漢人日文(にちもん、後の僧旻)・南淵請安ら8人、隋へ留学する。隋使裴世清帰国する。(『日本書紀』、『隋書』俀國伝)
610年(推古18年) - ? 第4回遣隋使を派遣する。(『隋書』煬帝紀)
614年(推古22年) - 615年(推古23年)第5回遣隋使、犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)・矢田部造らを隋に遣わす。百済使、犬上御田鍬に従って来る。(『日本書紀』)
618年(推古26年)隋滅ぶ。

遣使の『日本書紀』と『隋書』の主な違い
第一回遣隋使は『日本書紀』に記載がなく『隋書』にあるのみ。
ここでは中国史に合わせて遣隋使として紹介しているが、『日本書紀』では「隋」ではなく「大唐國」に遣使を派遣したとある。
『日本書紀』では裴世清、『隋書』では編纂された時期が唐太宗の時期であったので、太宗の諱・世民を避諱して裴清となっている。
小野妹子の返書紛失事件は『日本書紀』にはあるが『隋書』にはない(『隋書』には小野妹子の名前自体が出てこない)。
『隋書』では竹斯國と秦王國の国名が出てくるが大和の国に当たる国名は記されていない。しかし、「都於邪靡堆」とあることから、都は「邪靡堆」にあったと推察される。

2009年01月24日

神輿、御輿(みこし、しんよ)

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神輿、御輿(みこし、しんよ)は、日本の神社の祭の際に、神霊が御旅所などへ渡御するに当たって一時的に鎮まるとされる輿である。輿であるから通常は担ぎ上げて移動するものを指して言うが、それを台車に乗せて曳くものなど、別形態のものを指すこともある。祭りによっては、御輿の巡行に、山車(山)、鉾(ほこ)、だんじり、屋台が随行する場合もある。

「御輿」は「輿」に「御」を付けたものであるが、通常はさらに「御」をつけて「おみこし」と呼ばれる。神が乗る輿であるので「神輿」とも書かれる。なお、鳳を屋形に頂き神輿の原型とされる輿を特に鳳輦という。

小ぶりな神殿をかたどったものが多い。他に、神木(諏訪大社・長野県諏訪市)、人の性器(田縣神社・愛知県小牧市)をかたどったもの、人形を置いたものなどもある。大きさの単位は、ふつう台輪とよばれる部位の幅で測られ、日本で一番大きな神輿は東京都富岡八幡宮の御本社一の宮神輿である。担ぐための棒が付いているのは共通するが、前後にだけ付いたもの(二点棒)や左右にも付いたもの(四点棒)があり、本数もその地区により異なる。

神輿の祭りは、大きく分けて2種類に別けられる。一つは天皇の行幸を模し、鳳輩型の神輿に神霊を奉じて渡御する「王朝型神幸祭」。京都の石清水八幡宮や、東京の日枝神社の神幸祭などがその例である。二つ目は神輿を激しく振り立て、神輿振りを強調する「日吉型渡御祭」で、神輿を激しく振り動かすことによって神の霊威を高め、豊作や大漁を願うものである。滋賀の日吉大社・山王祭や、京都の八坂神社・祇園祭や、東京の浅草神社・三社祭や鳥越神社・鳥越祭りなど全国各所に多く存在する。いわゆる暴れ神輿である。

運行形態(神輿の担ぎ方)
単に町を歩いてお旅所(神酒所)と呼ばれる目的地を回るだけのものや、荒々しく揺らしたり神輿同士をぶつけ合ったりするものなど様々で、祭りの中でそれが果たす役割は多種多様である。荒々しく揺らすのは、神の霊を揺り動かして活性化させる(魂振り)という意味がある。

代表的な担ぎ方としては、「わっしょい、わっしょい」で並足で揺らさない平担ぎが全国で一番多い。

東京都内では「えっさ、えっさ」の江戸前担ぎが有名だが 近年は神輿同好会等の影響で「オイサ」「セイヤ」「ソイヤ」が増えている。浅草三社祭・鳥越祭り・神田明神祭など、東京の祭礼の殆どはこの担ぎ方となっている。

同じ都内でも、新宿・品川近辺では「ちょいちょい」の掛け声で揉みながら担ぐ独特な城南担ぎがあり、行徳近辺では神輿を差し上げ、空中に放ったり、地面にギリギリまで降ろしたりする行徳担ぎなどがある。

深川担ぎは平担ぎ「わっしょい」の他に神輿を揉み、次に差し上げる担ぎ方が有る。 掛け声は「もーめ もーめ」「さーせ さーせ」。湘南地方では、「どっこいどっこい、どっこいそりゃ」などの掛け声(湘南甚句)で担ぐ、どっこい担ぎが一般的である。どっこい担ぎの極みとして、茅ヶ崎「暁の祭典浜降祭」7月20日前後開催がある。

また、小田原では他の神輿と合体したり、木遣りとともに駆ける小田原担ぎがあり、ゴールデンウィーク5月3日~5日の通称、五社連合例大祭(居神神社・山王神社・下府中神社・大稲荷神社・松原神社)松原神社例大祭などで見られる。

さらに、関西方面では京都などでは八坂神社の祇園祭を中心に「ホイットー、ホイットー」と掛け声を掛けながら、ひたすら前進したままでシーソー状に激しく神輿を振り回す。ナリカンと呼ばれる特殊な金具の鳴り物を激しく打ち鳴らすのが特徴である。また神社拝殿の回りを練り暴れる拝殿回しでは、ひたすらカーブを切りながら上記のようにシーソー状に激しく振りながら前進する。境内が狭い場合などは神輿を軸にしてグルグル旋回しながら暴れることもある。

掛け声
担ぐ時の掛け声は「わっしょい」や「エッサ」「ソイヤ」などと言うところが多い。それぞれの語源については諸説があり、「和上同慶」「和を背負う」「和と一緒」「輪を背負う」という意味からきているという説や、「エッサ」は古代ヘブライ語(古代ヘブライ語で「エッサ」とは「運ぶ」と言う意味である)から来ていると言う説、又は単なる「えっさほいさ」といった掛け声であるという説など様々である。

※かつて朝鮮説があり、韓国語の「ワッソ」(来た)からきたものだという説もあったが、国語学者の研究により完全に否定されている。

近年の問題
本来は氏子のみによって担がれるものであるが、担ぎ手の不足や町おこし企画の一環などの理由により都市部を中心に、氏子以外の人も神輿担ぎに参加できるようになっているものが増えている。 地域によっては御輿の担ぎ棒に乗ったりよじ登るという行為が見られる。この行為については、「神が乗っている御輿に人が乗るとは何事だ」という否定的意見と「神輿渡御を安全に誘導する為には仕方がない」「神に近い人物が代理で乗る」などといった肯定的意見が存在するが、概ね世間の評価は否定的である。 担ぎ手不足から、外部の応援団体(有志の神輿会)が地元のルールを知らない、軽んじる地元以外の担ぎ手も参加することも一因であるとされる。御輿に乗ることはもちろん、上から見下ろすことさえ禁じられている所もある。 乗ることについての可・不可は地域によって違う、というのは自明なので、参加する場合はその地域の規則を熟知するということが大切である。

また、全国の一部には、神輿をわざと高い位置から落とす祭礼もあり、そういった祭礼は文化として認められている。そういった祭礼が存在するにも関わらず、神輿の上に乗る行為だけが批判されている、あるいは周知されているというのは、神輿事情を知らないマスコミによる、一般層への印象操作であるとも言える。※神輿に乗る行為自体は、都の条例で禁止されている。

神輿の起源
諸説あるが、そのうちの1つとして以下のような説がある。

狩猟と採集による移住を繰り返した時代に行われた収穫祭の祭壇が起源で、このときは祭りが終わると神輿は取り壊され、毎年新たな神輿を作って天上の神を招いていた。
農耕が始まり人々が定住するようになると、神に対しても定住が求められるようになり、居所としての神社が誕生した。そして神の乗り物として神輿が継承され現在のような形になった。
この説を採用した観光協会等において、外国人に対し神輿を"Portable Shrine"(持ち運び可能な神社)との説明がされるようになり、"Mikoshi"の英訳として一般化するに至っている。

文献での書出は、奈良時代の元正天皇の御世、養老4年(720年)九州で起こった「隼人の乱」にあるという。同年2月九州南部の大隈・日向に住む隼人族は、大隈国守を殺害してクーデターを起こした。朝廷は万葉歌人でも有名な大伴旅人を征隼人持節大将軍に任命し、一万を超す軍隊を派兵した。この時、朝廷は宇佐八幡宮に勅使を派遣し、国家鎮護と隼人討伐を祈願した。当時は、今の大分県宇佐市小倉山でなく、近くの小山田に鎮座していた八幡神は、この願いに応じ、「われ征きて降し伏)すべし」みずから神軍を率いて隼人討伐に赴くと託宣を下した。朝廷は豊前国司宇努首男人(ぶぜんこくしうぬのおびとおひと)に命じ、八幡神の神霊が乗る神輿を作らせた。「八幡宇佐宮御託宣集」によれば、「豊前国司に仰せつけられ、始めて神輿を作らしむ」とある。[要出典]

聖武天皇が奈良に東大寺を建て、毘盧舎那仏(奈良の大仏)を建立して国の象徴として建設にあたる時、天平勝宝元年(749年)に、これを助ける為に、宇佐八幡神は、屋根に金色の鳳凰が輝く天皇の乗り物(鳳輦)に乗って奈良の都へと都御した。この鳳輦こそが、1300年の歳月を経て今に伝わる神輿の原型である。

平安時代になると、近江の日吉大社や京都の祇園社(現 八坂神社)・今宮神社・北野天満宮や、大阪の大阪天満宮などでも神輿が作られた。鳳輦をもとにして、これに魔除けの巴紋や神紋を飾り、ミニチュアの神社のように鳥居や玉垣、高欄などが付けられた。こうして、主に奈良・京都を中心にして神輿が一般化された。

2009年01月17日

クリティアス (プラトンの曾祖父)

カライスクロスの父クリティアス (希: Κριτίας,英:Kritias, 紀元前500年頃 – 紀元前420年頃)は、プラトンの曾祖父であり、アテナイの三十人僭主政治の指導者となった同名のクリティアスの祖父である。プラトンの著作『ティマイオス』と『クリティアス』に登場する。

『ティマイオス』・『クリティアス』での記述
ブロース フィンガ チボウ ハロゲン アゴニスト リバタ シェル ハーフ あまおう スカム シャーク ステコミ ジャブ ブレー スリー フィッシュ ポプラ ロユリ ランブル さとち マリン マンディー プラク ヒール ルノー リスト ドオオ ヒット ダンス にしなり ブール マレー ビアン ハイタッチ デッキ エイド タグ最強 ホップ ラッチ サブリ ジェイリ タバスコ ワンダン ステーキ 恋人たち プレス オフィス レイシズ とまや バージャケ

図1.クリティアスとソロン、プラトンとの血統関係図
クリティアスとプラトンの血統関係は図1に示す通りである(女性名は斜体)。『ティマイオス』、『クリティアス』によると、クリティアス(III)はアテナイのパンアテナイア祭(7月頃)の最中に、アテナイの敵国であったシュラクサイとロクリスの政治家であるヘルモクラテス、ティマイオスらと共に、ソクラテスを客人として招待し、対談を交し合う。クリティアス(III))はソロンの親族かつ友人であるドロピデス(II)の子、クリティアス(II)の孫であり、10歳の頃に一族の前で90歳になる祖父のクリティアス(II)から聞かされた、ソロンがエジプトで神官から聞いたというアトランティス伝説を披露する。ソロンはこの物語を詩にするために、固有名詞をギリシア語風に転写して記録を残しており、それはクリティアスの家に伝わっているという。

系図の問題点

図2.(A),(B)プラトン;(C)ディオゲネス・ラエルティオス;(D)プロクロスの文献におけるクリティアス一族の系図
プラトンの『クリティアス』・『ティマイオス』の中の対話者であるクリティアスは、カライスクロスの父(プラトンの曾祖父)ではなく、アテナイの三十人僭主政治の指導者として名が知れている、カライスクロスの子(プラトンの母の従兄)であるという考え方が根強くある。図2(B)に、プラトンの『ソクラテスの弁明』(Pl.Apol.34a)、『カルミデス』(Pl.Charm.153c, 154a, 155a, 157e, 158a)、『プロタゴラス』(Pl.Prot.316a)、『国家』(Pl.Rep.I.327a, 327c)、『パルメニデス』(Pl.Parmen.126b–126c)から作成される系図を示すが、プラトンの『ティマイオス』(Pl.Tim.20e)が示す系図(A)のクリティアスを、カライスクロスの親(a)、子(b)どちらに対応させるかで意見が変わる。ソロンが紀元前600年頃に活躍したことを考えると、世代的に『クリティアス』に登場するクリティアスは、カライスクロスの親でないと合わない。
もっともプラトンの『カルミデス』、『プロタゴラス』、及び『エリュクシアス』におけるクリティアスは総てカライスクロスの子クリティアスである。同様にプラトンの『ティマイオス』、『クリティアス』に登場するクリティアスも、カライスクロスの子クリティアスであり、そもそもプラトンが伝える家系図自体信憑性が低いという意見もある。ちなみにディオゲネス・ラエルティオス(Diogenes Laërtius, 3世紀前半)の『哲学者列伝』の『プラトン伝』(Diog.Laert.iii.1, iii.4., iii.5, iii.41)および『スペウシッポス伝』(Diog.Laert.iv.1) (図2(C))や、プロクロス(Proklos, 410年頃–485)の『ティマイオスについて』(Procl.Comm.Tim.i.25f, 26a) (図2(D))などでは、『ティマイオス』、『クリティアス』に登場するクリティアスはカライスクロスの子のクリティアスとみなされている。
図2(C),(D)に示すように、ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』の『プラトン伝』(Diog.Laert.iii.1)やプロクロスの『ティマイオスについて』(Procl.Comm.Tim.i.25f)では、ソロンと上図のドロピデス(II)は兄弟の関係であるとされる。しかしながらプラトンは、ドロピデス(II)のことを、ソロンの親族かつ親友としてのみ記述するだけである(Pl.Tim.20e)。シケリアのディオドロス(Diodoros, 紀元前1世紀)の『歴史叢書』、プルタルコス(Plutarchos, 紀元46頃–119以降)の『対比列伝』の『ソロン伝』などは、ソロンの父(エクセケスティデスExekestidesまたはエウポリオンEuphorion)がアテナイの王コドロスの子孫であることを記述するが(Diod.ix.1, Plut.Sol.1)、後に執政官(アルコン)となるドロピデス(II)との血縁についてはふれていないし、『哲学者列伝』の『ソロン伝』では、ソロンのことを「サラミス人」と表現し、アテナイの出身の人ではないかのように記述している(Diog.Laert.i.45, これについては、ソロンがサラミスに土地を獲得したことによる肩書きという解釈がある)。これらのことからソロンとドロピデス(II)の兄弟関係については疑問視されている。
『パロスの年代表』によると、紀元前644年頃、及び紀元前604年頃に執政官(アルコン)として図1のドロピデス(I), クリティアス(I)という人物がいたことが分かっている(Marm.Par.ep34, ep36)。名付けの法則性から、これらの二人が、図1のドロピデス(II)の父、兄であるという推論が存在するが、それ以上の根拠はない。プラトンの遺産を相続した図1のアデイマントス(II)の血縁(兄アデイマントス(I)の孫)も、同様の名付けの法則性に基づく推論である(Diog.Laert.iii.41)。Prosopographia Attica (Ed. Johannes Kirchner, 1908)では、名付けの法則性に基づくプラトンの系図が採用されている。
ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』の『プラトン伝』(Diog.Laert.iii.1)およびプロクロスの『ティマイオスについて』におけるテオン(Theon, 2世紀前半)の記述の引用(Procl.Comm.Tim.26a)によると、図2のグラウコン(I)はカライスクロスの子であり、三十人僭主政治の指導者となったクリティアスの弟にあたるという (図2(C))。また、イアンブリコス(Iamblichos, 紀元250頃–330頃)の記述の引用によると、グラウコン(I)はソロンの弟ドロピデスの子であるという(Procl.Comm.Tim.26a)。しかしながらこれらはプラトンの記述と矛盾する。
プラトンの著作では、プラトンの母ペリクティオネとカルミデスの兄妹関係についてはふれられていない(図2(A),(B))。しかしながらクセノポンの『ソクラテスの思い出』では、ソクラテスは図1のグラウコン(I)の息子カルミデスのことを図1のアリストンの子グラウコン(II)の伯父と呼称している((Xen.Mem.iii.6.14–15)。図2(C),(D)に示すように、ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』の『プラトン伝』(Diog.Laert.iii.1)やプロクロスの『ティマイオスについて』(Procl.Comm.Tim.i.25f)では、ペリクティオネとカルミデスの兄妹関係を明記している。
図1に示すように、カライスクロスの子クリティアスの母が、弁論家・政治家アンドキデスの父レオゴラス(Leogoras, 紀元前5世紀)の母の姉妹であることは、アンドキデスの釈明書『秘技について』に記載されている(Andoc.de Mystr.1.47)。アンドキデスの親族の系図については割愛する。